高い収入を得ようと思えば、当然高い(過剰ともいえる)クオリティが求められる。
我々が求めている幸せは本当にこれだろうか。これは机の上で会議と称してお気持ち表明する連中のエゴではないだろうか。
否。これはほかでもない我々自身の中にある過剰で傲慢な要求の顛末なのである
。。。と、そんな意味不明なことをだらだらと考えているのは、私が青二才でなおかつくたびれているからだろう。その証拠に、ロードバイクに跨がれば、スピードメーターがいつも通りの数字を叩き出す。自分で思っているほど体は疲れていないのだ。
といってもこのところ運動不足なのは確かであり、上がった心拍と呼吸が戻りにくいのをつくづく感じる。そもそも上がるのが早い。
コメダでいつも通りの飯を食い、なんの冒険もせず帰る休日。脳に酸素が回っていないような、こんな生活でいいのだろうかと自分を顧みる。
学生の時なら、一日でも休みがあればアワイチなんて腰が軽かった。言い訳をするならば、学生の間は授業など座って指先と脳をほんの少し動かしていれば良かったからである。
バイトせず勉強していた分の差額は、今の会社からの評価で元を取れる見込みがあるし、お金に関しては、自転車趣味程度ではなんら問題にならない。本も無事にもうすぐ仕上がる。
はたして、今の自分はどうだろう。お金に困っている訳でもないのに結婚や子供など将来の出費に恐れてやたら貯金をしている。アワイチ程度にやたら運動不足を恐れて条件の良い季節をただ待っている。
自分の人間的成長が止まったとつくづく感じる。冒頭でいろいろ述べたが、最終的にはこれが自己肯定感の低下に帰結してしまうのだ。
さて、4月からの自分はどうしようか。このままではまた怠惰に人生を浪費してしまう。入社当初、人の役に立って地元に貢献したいと言っていた自分はどこへ行ったのだろうか。
高校3年の一件(そのうち書きます)からようやく一生懸命生き始めて、散々な扱いを受け友達も失いながらようやく巡り合わせた家族を、今の自分で守れるだろうか。
この自身のなさを振り切るには、もっと強い信念が必要だ。ひとりで毎週の定休日になるといつも思い悩んでいる。正解はなくとも、確固たるものはいつか持つべきだ。
ふと、父親が車のオーディオかなんかで、ブルーハーツ「人にやさしく」を聞いていたのを思い出した。
武庫川の桜が咲いてきています。
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