私は自動車整備士という職業に誇りを持っており、天職であるとも思っています。今年はいわゆる新人大会の全国大会にも出場させて頂きました。
正しいベクトルで熱心に仕事をすることと、主張すべきところはしっかりする(言うまでもなく謙虚さも大切)ことで、見合うとまではいかなくても十分な待遇は受けられるとも思っています。つまり、プロの仕事をするということです。
そんな私が思うことは、整備士へのネガティブキャンペーンを食い止めたいということと、なぜそうなってしまうのかということです。
事情というか諸々の圧力があってSNSなどで行っていた情報共有は続けられず、細々と独り言でブログを続けていますが、思うことは書き残しておけばいつか何かで役に立つこともあるので、できることは続けていきます。
我々自動車整備士が将来を担う重要な役割であることを考えた上で、今のままではまずいと思うことがいくつか見えてきたので、そのことを書き綴ろうと思います。私も何かこの方のようにできることがあれば…と思うのですが、今は粛々と目の前にある「すべきこと」をやります。
見えないものを可視化する能力
XEV(ハイブリッドや電動)化やADAS(先進なんとかシステム)の普及は本格化しており、車が好きな人間がどう思うかはさておき、それが実情として求められる社会へと変遷を遂げています。
変化に混乱はつきものですが、私が仕事をしていて思うのは、そういった制御系の一時的な不具合の診断から逃げている整備士・フロントマンの多さです。
以前も衝突被害軽減ブレーキ関連のお申し出(プライバシー等の観点から詳細は伏せます)がありましたが、私よりずっと先輩であるフロントマンは診断もメーカーへの情報提供もお客様へのご説明も、たかが3年目の私任せでした。こういったことは一回二回ではなく毎回で、「見えないもの」「ハイテク」的なものを目の前にすると、なんとなく全員が誤魔化したりぼやかしたりしています。
私はそれを前々よくないと思っているので、センサシステムや映像解析のアルゴリズムなどを本屋や図書館で探しては手に取っているのですが、未だにそれは「変な奴」なのです。
我々自身も車好きであり、ガソリン臭い昔ながらの車が好きなのはわかります。私だってそうです。だけれども、実情としてそれを必要としてまだまだ発展途上ゆえに不便されている方がいるというのも事実です。そういう方に寄り添えるのは我々現場の人間しかいないと思っていますし、それができなければ整備士という仕事は将来的にただの「作業をこなす人」になってしまうと思います。
実際にどこまでついていけるかは別として、我々はプロとして足掻き続けるべきだろうと思います。コンピューターと業績に血眼になるのではなく、ディーラーは人に寄り添うべきです。チェンジニアという揶揄が事実になってしまうその前に。
コンプライアンス
未だに「法律違反じゃないから別にいい」という一言で片付けてしまう人間が多く、酷い場合には法律的にもどうなの?って指示を出してくる人間も当たり前にいます。
違法行為は罰せられるから駄目なのではなく、それが多面的にみて社会的によくないから規制されているわけです。そういうことであれば、法律でなくとも守るべきものは守るのを当然です。
仕事をしていると、どうも違和感を覚えることがあります。私も一年目の頃は右も左もわからずたくさんお叱りを受けました。その時のことは一つたりとも忘れずきっちり決められたことを守るという努力をしています。私にとって「まあいいや」的な言い回しは断固として許せないものです。
そんな中、おかしいと思うことの一つを挙げます。
たとえばオイル交換では、一般の方でもご存知の方はいらっしゃると思いますが、オイルは滴下に変わるまできっちり抜くのが決まりです。私も当然やります。
しかし作業中に先輩は、まだオイルが滴下に変わっていないことは目に見えるはずなのに「(オイルバケット)まだ?」と言ってきます。別に長時間オイルバケットを専有しているわけではなく、しかもオイルバケットはまだもう一つ余っています。その先輩はもう一つのオイルバケットの受け皿が小さく溢れるのが嫌(別の人間との会話で自分から言っていた)であるから遠回しに「そんなもんでいいから早くしろ」と言っているわけです。ところが逆の場合では、お前はそっち(小さい方)を使えと言わんばかりに長時間専有しています。
私はこの事実を相当におかしいと思っていて、それはコンプライアンスというものを潰しにかかるのは主に上の人間であると気づいたからです。
たとえば決算期の最終日。本社から「絞り出せ」という旨の連絡があります。これを言えば「無理やり計上させる」人間が出てくることは容易に想像がつくと思いますが、それを「仕事だから仕方ない」と本気で思っている人間が上にいるということです。コンプラの意味をを履き違えて「最近の奴らはめんどくさい」と思っている耄碌どもにに慣れてしまう(あるいは屈する)ことは、我々若い世代の怠惰です。あなたの人生は会社様のためにあるのですか?業績のためにその身を汚すのですか?これは人生においてたいへん重要なことではないでしょうか。
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